【弁護士コラム】体罰教師の責任と問題点
■そもそも体罰とは?
最近、部活で生徒の顔を叩いた、過剰な「しごき」を行っていたなどの問題がニュースに上がりますね。こういった行為を体罰というわけですが、このような体罰にはどのような問題があるのでしょうか。
そもそも体罰とは何でしょう?
学校教育法11条には「体罰の禁止」が明文化されています。
実際に、叩く、ける等身体に対する侵害を内容とするものや、尿意があるのに室外に出ることを禁止するなど被罰者に肉体的苦痛を与えるようなものは、体罰に該当します。ニュースにあるような行為は、当然ながら、頭を叩くというものですから、指導として禁止される体罰になりますね。
■体罰にはどんな責任があるのでしょう?
そして、この体罰には大きく分けて以下の3つの責任があります。
①刑事責任
叩く、ける等の体罰は、違法な暴力ですので、暴行罪に該当します。
また、教員の暴言の中には、脅迫罪に該当する可能性があるものがあります。
②教師の懲戒
公立学校に関しても、私立学校に関しても、体罰行為は懲戒事由に該当します。このため、停職や免職になる可能性さえあります。
③民事責任
体罰行為は、違法行為ですから、慰謝料請求の対象になる可能性があります。
■体罰にはどういう問題があるのか?
体罰については、必要論も根強く残っているようです。
確かに、カリスマ的な教育力を持っているといわれる教員やスポーツ指導者の中に、手を上げる教師がいることも事実でしょう。
ただ、日々様々な相談を受けている私の感覚としては、体罰を教育方法と考えてはいけないと思います。その理由は、先生の体罰に耐えられない、体罰を受け入れられない子どもがいることを見落してはいけないからです。人には心にも体力があります。さらには、アレルギーがあるように、地道な努力ができる忍耐力があっても、暴力については見ることさえ全く耐えられない、『暴力アレルギー』の人もいます。
そうした子ども達が、体罰に晒されると、学校に行けない、大人が怖くて仕方がなくなってしまうことがあります。体罰を教育と考えてしまう先生は、自分の体罰を正当化するために、体罰に耐えられない子どもが悪い、根性が無いなどと、責任を子どもに転嫁していることがあります。ついてこれない子供を排斥し、体罰が原因で崩れてしまった子どもを、生徒でなかったことにしようとするのです。
一部の子どもには効果があっても、一定数の子どもの心を壊すという最悪の事態が生じうる以上、体罰を教育と捉えることはできないものと考えられるのです。
弁護士 髙橋知典